半泣きの詩(うた)R 

「半」のつく言葉が好きだ。半泣き、半笑い、半ケツ、半身、半熟、半殺し等々。 どれもこれも中途半端な状態を表していてコミカルだ。 半殺しなんかはちょっと物騒な響きだが、それでもきっちり殺されるよりはマシである。 世界は中途半端であふれ返っている。 このブログでは大泣きするほどのことではない、でも半泣きくらいにはなってしまいそうな日常のシーンを掠めとって、読んでくれる人を半笑いにしたいと思います。

おもしろかった。『偽アメリカドル紙幣鑑別研修』


二十歳から15年間、京都市内のビジネスホテルでフロントマンをしていた。

あるとき、『偽アメリカドル鑑別研修』というのに参加した。

偽アメリカドル紙幣の被害に遭わないようにと、京都のホテル協会が催したのだ。

京都産業会館で行われたその研修には、京都の多くのホテルマンが足を運んでいた。

講師はそういう偽札なんかを鑑別する機械をつくっているメーカーの人で、ソフトな七三分けに地味な眼鏡。

いい感じにだらしなく出たお腹が、篤実さを感じさせる40歳くらいの男性だった。

篤実講師曰く、見分け方のポイントとしては

『本物は凹版、凸版印刷なので、インクのにじみがあるが、偽物は平版印刷なので、インクのにじみがなく鮮明である』

とか

『門画像のデザインのラインがフレームまでついていないのが、偽物』

とか

『13個、並んでいる☆マークの形が崩れているのが偽物』

とかいうことだった。

とても興味深い内容だったものの、日々の忙しい業務の中でそこまで注意して見るのは難しいなあと思った。

他のホテルマンも同じようなことを感じたのだろう、皆、難しい顔をしていた。

少し淀んでしまった空気を読んだのか、篤実講師は

「ま、ぱっと見の雰囲気で疑ってください」

などと言った。

実際、100ドル札に描かれているベンジャミン・フランクリンの顔が、『なんかブサイクだ』と感じて偽札を

発見した銀行員もいたそうだ。なるほど、そういうものなのかと感心した。


ところで、話を聞いていて感じたのは

“偽札偽造団はわざと本物との相違点を作っているんじゃないだろうか”

ということだ。

技術的には本物と全く同じものを作ることが可能なはずだ。少なくとも僕にはそう感じられた。

どういう意図があるのか知らないが、『印刷に糸くずを混ぜる』とか『磁気を帯びさせる』なんてこともしているのだ。

『本物の紙幣に描かれている時計より、2分ほど偽物の方が早い』という相違点もあるとのことだが、これなどは

わざとやって楽しんでいるとしか思えない。

要するにおちょくられているのだ。

おちょくられていると言えば、アメリカの造幣局はけっこう『ええ加減』で、本物なのに偽物みたいに印刷がずれてたり、

裁断が狂っているものが多くあるとのことだ。(そういうことだから、ナメられる)

「それなら、べつに偽物があってもいいんじゃないですか」

僕のツッコミで会場にユルい笑いが起き、篤実講師も「そうですね」と言って笑った。


研修では最後に、実際に偽札の鑑別をさせてもらった。僕は参加者の中で一番早く3問全部、正解した。

僕があまりに早かったので、

「お前、もしかして作ってる?」

というような空気になった。

弁明するのも変なので、僕はそそくさと会場を後にした。

自分でも思わぬ能力に驚いたが、今のところ何の役にも立っていない。

                                           合掌。

注:僕が上記の研修に参加したのは、もう20年以上前のことです。現在は、技術も進み状況も変わっているかと
  思います。念のため。
  




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