半泣きの詩(うた)R 

「半」のつく言葉が好きだ。半泣き、半笑い、半ケツ、半身、半熟、半殺し等々。 どれもこれも中途半端な状態を表していてコミカルだ。 半殺しなんかはちょっと物騒な響きだが、それでもきっちり殺されるよりはマシである。 世界は中途半端であふれ返っている。 このブログでは大泣きするほどのことではない、でも半泣きくらいにはなってしまいそうな日常のシーンを掠めとって、読んでくれる人を半笑いにしたいと思います。

「漱石の『こころ』、僕のこころ」


「それはともかくとして、君らに生きている理由はない。高校2年生にもなれば、自殺の一度も考えたことがなかったらおかし

い。高校に進学したのもそうや。確固たる理由があって入学した奴が何人いる? みんながいくから僕も私もやろ。嫌ならや

めればいい。嫌なのに続けなければならないという理由もまたない。私はそう思う。ただ、私のところには『学校やめたいん

ですけど』などと相談に来ないように。中退者を出して校長に叱られるは嫌なので……」

 現国の榊先生はそうおっしゃった。

 漱石の『こころ』を一通り教え終わったあとにである。

 僕は先生と先生の無駄話が好きだった。父親のいない僕にとって先生の無駄話は父の教えのように思われた。

 僕はいつしか小説中の“先生”と榊先生を、“私”と自分をだぶらせていた。
 
 休み時間にわざと難しい漢字の読み方を聞きにいったり、今となっては何でもない思春期特有の悩みを打ち明けたりし

た。もちろん先生が愛読しているというので『こころ』も書店で買い求め全編を読んだ。(教科書には後半部の『先生と遺書

』しか収録されていなかった)

 読んでみて先生が『こころ』を好きなわけが解ったような気がした。しかし先生に「あなたはいまに私のほうへは足が向か

なくなる」と言われそうで、不安な気持ちにもなった。

 先生は平生から「私は人間嫌いだ」とおっしゃっていたのだ。

 あれから30年近くの時が経ったが、幸いにも先生との関係は途絶えてはいない。

 30年の間にいくつかの痛い恋をした。

 “恋は罪悪です。そして神聖なものです”

 『こころ』にある一文がいま心に刺さる。

 ところで『こころ』はホモ小説だという説もある。榊先生はいまだ独身だ。もうそろそろ定年なのに……

 少し気になる。
 






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